英語はただのツールではない

なぜ英語を勉強するのか?

僕は最近、「英語はツールでしかない」という言葉をよく耳にします。

確かにそうです。僕にとっての英語も、人と心を通わすためのツールです。でも「英語はただのツールだよ」と、ばっさり切ってしまうのは好きじゃありません。

 

英語は例えるなら「車」のようなもの

 

英語とは、例えるなら「車」のような存在だと思っています。

車とは、時には自分を遠くまで連れて行ってくれるツール」であり、時にはそれにメンテナンスを加え、より良いものにしていく、自分だけの大切な「財産」でもあります。

そういう意味で、英語と車は、とてもよく似ています。

 

車は、遠くに行くためのツール、それも車のひとつの側面ではあります。

では、なぜ車の「燃費」や「快適さ」以外の要素に、人々はここまで心惹かれるのでしょうか。なぜわざわざお金を払ってまで、もとから付いているホイールを、高価なホイールと交換する必要があるのでしょうか。

それは、車が単なる「ツール」である以上に、その人にとっての大切な「財産」であるからだと、僕は思っています。

同じことは、英語においても言えます。

 

ツールとしての英語

 

僕が英語を勉強する理由は、いつでも「人と話したいから」ということでした。

そういう意味では、英語は人と話すための「ツール」です。

 

世界には自分の知らない人たちがたくさんいます。自分の言葉じゃ理解できないことが、まだまだ沢山あります。

英語を話す友達の言ってることが理解できなかったとき、僕はもっともっと英語ができるようになりたいと感じます。そういう人たちと自分の言葉で話して、できることなら彼らのことを、そして彼らの文化を理解したいと心から思います。そんな思いで僕は今まで英語を勉強してきましたし、これからもずっとそうしていくのだと思います。

 

そういう風に感じ、英語ができるようになりたいと願うのは、そうやって言葉とか国境なんか関係なく、人と繋がっていくことが、僕が望む生き方だからです。

 

財産としての英語

 

ただその一方で、自分の英語力を高めることも、僕は純粋に楽しんでいます。

それは例えるなら、週末に家の車を洗って、ピカピカに磨いたり、より車をかっこよくするためにカスタマイズするようなものなのかもしれません。

読めなかったものが読めるようになったり、もやもやしてたものがスッキリと繋がって、そうやって自分の英語は段々と質の高い、きれいなものになっていきます。

それが、素直に嬉しいのです。

 

さいごに

 

僕が英語を勉強するとき、原動力は2つあります。一つは英語が必要だから、もう一つは英語が上手になることが、純粋に嬉しいからです。

僕が英語を勉強するのは、必ずしも必要に駆られて机に向かうわけではありません。それと同じくらいに、英語がうまくなることがただ楽しいから、英語を勉強したくなってしまう、そんな感覚があります。